藤岡康太騎手が死去 落馬事故の起こったレースの原因・死因とは
2024年4月10日、JRA騎手の藤岡康太さんが落馬事故の影響で死去した。
藤岡康太さんは事故当日の6日から意識不明の状態が続き、そこから意識が戻ることはなかった。
今回はそんな藤岡康太さんの事故の原因や、今までのプロフィールなどの足跡やファンの声をまとめてみた。
落馬の原因は前の馬の足に引っかかってしまったため
2024年4月6日の阪神7R「4歳以上1勝クラス」、スウィートスカーの鞍上を務める。
好スタートを切り、レースは中団中ほどやや外側から仕掛けるタイミングをうかがえる位置に。
そんな折、3コーナーを回った少しあとくらいに事件は起きた。
この時4番手を走る⑥ローラスノビリスの走る後ろ脚をスウィートスカーが踏んでしまい馬ごと転倒、後方に騎手の藤岡さんが転がり運悪く後続2頭に頭と胸を蹴られてしまう事態に。
そこから藤岡康太さんはまったく動けなくなり、そのまま病院送りとなった。
この時はただの転倒程度の騒ぎだったが、10日に兄の同じく騎手である藤岡佑介さんの口からの現状説明で競馬ファンも心配する事態に。
落馬でご迷惑、ご心配をおかけして申し訳ありません。現状(7時45分頃)、まだ意識が戻っていません。経過を見ている段階です。本人の頑張りに期待するしかありません。僕らも見守ることしかできません。ファンのみなさんも、たくさん心配してくださっていると思います。何とか帰って来れるように応援していただければと思います
‐藤岡佑介談
この報道があったのは10日朝7時45分ごろで、死去したとされている時間が同じ日、12時間後の夜7時49分。
もしかするとすでに病院では助かる可能性の低さを医師から伝えられていて、藤岡佑介さんの現状説明は祈りのような意味合いも入っていたかもしれない。
残念ながらその願いは届かず、痛ましい結果に終わってしまった。
すでに同期の丸田恭介騎手などからもコメントが寄せられている。
太の活躍する姿を僕も励みにして頑張ってきた。何度も元気をもらったし、一緒の時間を競馬学校で過ごせてよかったです。本当にありがとうと言いたい。夢半ばでこういう形で終わってしまったけど、おつかれさまでしたと言いたいです。康太は影響力のある人間だったし、ずっと格好良かった。人を笑わしたり、気配りも凄くできた。こういう事故があるスポーツでギリギリを攻める騎乗も尊敬していました。あいつのためにも、これから恥ずかしくない競馬をしたい。今はゆっくりしてほしいです
-丸田恭介談
ナミュール見事な騎乗やったなぁ。センスとここ一番の冷静さがあって、調教でも厩舎を支えとるジョッキーやった。康太、お疲れさまでした。ご冥福をお祈りいたします
‐安藤勝己談(通称アンカツ)
残念のひと言です。競馬学校で出会ったのが15歳。今が35歳なので、もう20年になります。同期とか友達とか、そういう域を超えて、家族に近い関係でした。ウソだろうと、ずっと思っていますし、今でも正直、受け入れられないです
-浜中俊談
こんなにつらく、悲しいことはありません。まだ、信じられないです。今後、康太の思いを胸に乗っていきたいと思います
-武豊談
藤岡康太氏のプロフィール
騎手名 | 藤岡康太 |
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出身地 | 滋賀県 |
生年月日 死没 | 1988年12月19日 2024年4月10日(享年35歳) |
身長 体重 | 169m 50kg |
血液型 | AB |
所属団体 同期 | フリー 浜中俊、丸田恭介、田中健、荻野琢真、宮崎北斗、草野太郎、大下智、池崎祐介 |
初免許年 免許区分 | 2007年 平地 |
騎手引退日 | 2024年4月10日 |
重賞勝利 | 25勝(JRA22勝、NAR3勝) |
G1級勝利 | 2勝(JRA) |
通算勝利 | 803勝(JRA) |
年間の成績は中央の登録135人中毎年10位から20位代をキープする実力派。
デビューから18年を迎え、23年には未だ13位を記録し勝利数も年間63勝を記録。
今年はペースで言うと去年よりも早くに28勝を記録し、キャリアハイを更新するのではと期待されていた。
それだけにどれだけの競馬関係者やファンに期待される存在だったかはわかっていただけるだろう。
競馬一家の家庭に生まれる
藤岡康太騎手は兄だけでなく、父親藤岡健一も調教師として名を馳せている。
そこで一度この2人の来歴もまとめておこう。
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昨年の勝率ランキング | 主なプロフィール詳細 | |
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藤岡佑介 (騎手) | 23位 (代表馬:ペプチドナイル) | 18年にNHKマイルCでケイアイノーテックで初G1勝利。 現在もペプチドナイルでフェブラリーSを制し、通算勝利数も弟を超える1000勝を記録。 同期の川田将雅騎手と親交が深い。 |
藤岡健一 (調教師) | 37位 (代表馬ジャックドール) | 藤岡健一のさらにその父も厩務員。 自分の厩舎の馬に実子を乗せることも多々あり。ジャックドールも本格化するまでのお手馬は兄祐介。 |
藤岡康太騎手の功績
- 1年目で24勝挙げ、
JRA関西放送記者クラブ賞を
受賞 - デビュー2年後のハタチで
G1初勝利 - 代打でテン乗りしたナミュールで
マイルCS勝利
大事な局面で代打を任されることが多く、特にナミュールのマイルCSでのテン乗り勝利は前走のモレイラの活躍もあるが復活の大きい助けになったと競馬ファンの間では当時話題だった。
その他にもワグネリアンでの勝利や、マカヒキの5年ぶりの勝利など代打での勝利が多かったことも多くの競馬ファンから愛される理由の一つと言えるだろう。
死去時のなんJの反応は?
今回の件にあたって競馬ファンの集まる5chのなんJ(なんでも実況掲示板)ではどのような反応があったのか。
その内容をまとめてみた。
反応
- ナミュールで久々G1勝ち
のすぐ後にこれだよ・・・ - こどもゼロ歳か
- 昔から怪我多い
イメージだったけど - 本当にショックだ
- オースミスパークの
小倉大賞典のテン乗りが
忘れられん - あれだけ蹴られたら無理か
- 二十歳のG1制覇は衝撃だったな
- 他人でこんな悲しいのに
周りはどうなんだよ
実力もあり同業者にもその人間性で愛され、競馬外でも妻との子どもが生まれたばかりだったというのだからその悲しみの声も多い。
最近では高知競馬でも落馬事故による騎手の死亡もあったことから、今後のレースでは全人馬無事を祈るばかりだ。
藤岡康太騎手のまとめ
騎手の引退する平均年齢は30代と言われているが、死去する直前までさらに記録や成績を更新することを期待されていた藤岡騎手。
それだけに家族や競馬関係者から感じられる悲しみは深いものだろう。
今後はこのような悲しい事故が起こらないように、今は冥福を祈るばかりだ。