元JRA騎手の坂井千明騎手が死去!現在までの足跡を辿る!
2024年1月9日、元JRA騎手の坂井千明さんが肺血栓塞栓症により72歳で亡くなった。
通夜、告別式は1月13日14日に執り行われ、喪主は家族の房子さん。
現役時代は名馬ヤシマソブリンをダービーで3着、菊花賞で2着に導き、マイヨジョンヌとのコンビとしても有名だ。
そこで今回は坂井千明さんの足跡をまとめたので紹介したいと思う。
元JRA騎手・坂井千明氏のプロフィール
騎手名 | 坂井千明 |
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出身地 | 東京都 |
生年月日 死没 | 1951年2月14日 2024年1月9日(享年72歳) |
身長 体重 | 160cm 52kg |
血液型 | B |
所属団体 所属厩舎 | 日本中央競馬会 川上武一, 内藤潔, 久保田彦之, 相川勝敏 |
初免許年 免許区分 | 1970年 平地・障害 |
騎手引退日 | 2004年9月30日 |
重賞勝利 | 11勝(JRA) |
G1級勝利 | 0勝(JRA) |
通算勝利 | 9864戦688勝(JRA) |
世代で言うと福永洋一氏や岡部幸雄氏が同じあたりと考えると、想像しやすい方も多いのではないだろうか。
通算の獲得賞金は中央・地方合わせて97億4928万円。
平均すると年収は3000万円、ジョッキーの平均年収が1000万円なのでそう考えると坂井騎手の実力や人望もうかがえるだろう。
引退後は競馬評論家として活動、テレビなどにも出演する他、自信の若手育成塾「千明塾」の名前を冠するコラムを競馬雑誌「サラブレ」で連載。
後年は美浦近郊の牧場スタッフとしても働くなど競馬界をサポートし続けた人生だった。
それではそんな坂井千明氏の代表的な鞍上の経歴と、引退後の活動についても紹介しよう。
マイヨジョンヌの乗り替わりからの復活劇!
マイヨジョンヌは1992年デビューの牡馬。
3歳から4歳にかけて数々のG2、G3で掲示板内に入るが、5歳から急激に成績を落とすことになる。
その頃から乗り替わりも激しくなり、元々主戦を務めていた大崎昭一氏ですらレースを落とすようになってしまったが6歳から坂井氏が鞍上を務めるようになり激変。
乗り替わりになって向かえたG3の新潟大賞典でいきなり勝利したかと思えば、その後も次々に重賞で結果を出してマイヨジョンヌがまだまだ走れることを坂井氏は証明した。
復活ののろしにもなった新潟大賞典では元々先行馬だったマイヨジョンヌが、追い込みで勝負を仕掛けたことに競馬ファンは驚いたものだ。
坂井千明氏はこのように馬の調子の適性を読む力に長けており、何度も穴馬券を生み出したことでも有名。
マイヨジョンヌもこの脚質転向により、その後も結果を出し続け、引退レースになったその次の年の新潟大賞典でも見事勝利を掴んだ。
稀代の名馬ナリタブライアンに善戦したヤシマソブリン
坂井千明氏を語る上でこの馬とのタッグは忘れてはならない。
1991年デビュー、現在のラジオNIKKEI賞にあたるG3ラジオたんぱ賞では1着で入線しただけでなくその時のコースレコードを持っており、その後に続くダービーでもその時のライバルエアダブリンに先着し2着に輝いた。
ヤシマソブリンと言えばその時の最強馬と語られるナリタブライアンに真っ向から勝負した菊花賞が代表的なレースになるだろう。
先の福島民報杯で古馬を蹴散らし鞍上の坂井氏は「この競馬ならブライアンにも勝てるかも」と口にしていたそうだ。
菊花賞では早めの競馬で直線に入り、内回りで先頭に立ったが、その後同タイミングで外に回っていたナリタブライアンが猛追しヤシマソブリンを抜いたあともその勢いはとまらず激走。
結果は7馬身差をつけられることになったが、2着は確保、ナリタブライアンに菊花賞で唯一勝負できた馬として後世に語り継がれている。
引退後も千明塾を主宰し吉田隼人らを輩出
数々の好成績を記録し、坂井千明氏は2004年9月30日に引退。
その後は競馬評論家として活動する傍ら若手のための勉強会「千明塾」を主宰している。
代表的な塾生は以下の通り。
- 松岡正海
(代表勝鞍:マイネルキャッツの
春の天皇賞など) - 石橋脩
(代表勝鞍:ラッキーライラックの
阪神JFなど) - 吉田隼人
(代表勝鞍:ソダシの
桜花賞など) - 丹内祐次
(代表勝鞍:フルデプスリーダーの
エルムSなど) - 津村明秀
(代表馬:カレンブーケドール)
坂井千明氏が死去!その時のなんJの反応は?
今回の件にあたって競馬ファンの集まる5chのなんJ(なんでも実況掲示板)ではdぽのような反応があったのか。
その内容をまとめてみた。
反応
- ナリタブライアンを
倒すとしたら
この人の馬だと思ってたな - 癖馬は坂井氏に乗り替わりに
なったらとりあえず
馬券買ってたな - さんまさんが言ってた
エアダブリンとの
ブリンブリン馬券思い出す - ガクエンツービートとか
ラケットボールとか
惜しい馬もこの人だったな - この人の論評おもしろいんだよ
どこも来ないと言ってる馬に
一人だけA評価
たまにだけど本当に来る - マイヨジョンヌの脚質転向は
伝説級 - 塾なくなったけど
いた面子は生き残ってるな - 武豊の不仲説あったけど
普通に対談してたよな
坂井氏を語る時にはいぶし銀という言葉がよく使われていて、決してその時代に最強・主役として挙げられるようなジョッキーではなかった。
しかし、癖のある馬で何度も良い競馬をし、評論家としても愛されていたのがこの書き込みの内容を見てもわかるだろう。
愛されながらその人生を終えられるジョッキーは一握り、坂井氏はそのうちの一人なのは間違いない。
坂井千明騎手のまとめ
決して派手ではないながらも、ファンに愛される競馬を現役時代にまっとうし、競馬評論や後進の育成でも競馬界をサポートし続けた坂井氏。
今後も彼のような名騎手が次世代にも現れることを祈り、冥福を祈ろう。